平塚市美術館に、先週から始まった展覧会『画家たちの二十歳の原点』を見に行ってきた
http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/art-muse/2011201.htm
ほぼ油彩画に焦点を絞り、黒田清輝から石田徹也まで、54作家約120点あまりの作品は、すべて二十歳前後に描かれたもの、という企画。実は平塚市美術館って来るのはじめたなんだよね、ロビーに入ると、三沢厚彦のユニコーンが鎮座していますよ
この展覧会、出展作家の名前を並べると凄いことになる。黒田清輝、熊谷守一、青木繁、坂本繁二郎、萬鐡五郎、中村彝、安井曾太郎、高島野十郎、岸田劉生、恩地孝四郎、藤森静雄、田中恭吉、牧島如鳩、木村荘八、中川一政、河野通勢、林倭衛、村山槐多、佐伯祐三、関根正二、柳瀬正夢、尾形亀之助、猪熊弦一郎、海老原喜之助、長谷川りん二郎、吉原治良、三岸節子、靉光、筧忠治、桜井浜江、佐藤哲三、藤牧義夫、松本竣介、オノサト・トシノブ、桂ゆき、加藤太郎、野見山暁治、鴨居玲、草間彌生、靉嘔、池田満寿夫、横尾忠則、神田日勝、難波田史男、高畑正、森村泰昌、大竹伸朗、O JUN、野村昭嘉、会田誠、山口晃、石田徹也。夭折の作家から、100歳近くまで活躍した作家まで区別なく、二十歳の前後に描かれた作品が、時代順に、その頃に書かれた文章、あるいはその頃を振り返った文章とともに展示されている。
そう、二十歳の作品を並べた、だから、どうしたってありきたりの言葉で形容したくなる。パンフレットを見ても『人生においてもっとも多感でナイーブな…』『各時代の画家たちが苦闘し悩みつつも世に残した…』云々。豪華画家の二十歳の作品が一堂に!という楽しみの一方で、そういうのに若干、反発してるところもあった。見るまでは。当然、二十歳だからといって、それぞれが考えていることはまったく違う。置かれた状況もまったく違う。絵画だって、あるものは摸倣であり、あるものは未熟、未完成で、また、すでにスタイルが確立されているものもある。夭折した作家などは、まさに人生の中で頂点となる作品が展示されている。だから、ありきたりの言葉でひとくくりにするなんて出来るはずもない、したくも無いと思っていたのですよ。実際、作品を時代を追って見ながらも、そう思っていたのです。
だけどね、続けて見ていくと…。その、なんというのかな。心がザワザワするのだ。あるいはチリチリするのだ。なんとかなりたいしてやりたい、どうにもならない、そんな思いがどの画にもあらわれていて、見ていて胸を焦がされるような思いがするのです。
なにしろ一流の作家たちを集めているので、コンセプトに倒れた展覧会ではない。黒田清輝にはじまり、熊谷守一の裸婦にハッとなり、岸田劉生や木村荘八の自画像を見つめ、河野通勢の大作2点は息を飲むようで、村山槐多の『最晩年』の作品をじっと見つめ、猪熊弦一郎の少年に立ち止まる。靉光のコミサ、桂ゆきの田園風景、草間彌生、神田日勝の画面いっぱいの馬。会田誠の作品は、同時に出版された本、買わなくても会場に閲覧用に置いてあるので、合わせて読んでほしい。画家本人が胸のうちを語っている。そして、山口晃に石田徹也。とにかく良い作品が沢山ある。
最後に、野村昭嘉の作品があるのです。その雲を造る機械の絵の前でハッとなった。西原理恵子のエッセイに『死んだのはひとりの芸術家でした』という文章がある。くい打ち機が倒れてアパートを直撃し、26歳の青年が亡くなった、その亡くなったのは西原の友人の画家だったのだよ、というエッセイ。何度も読んだ、若くして亡くなったその友人は、そうだこの人だった。『雲の製造』2点。青い空に、雲を造る機械が、ぽっかり浮かんでいる。展覧会の最後にその作品を見て、立ち止まり、涙が出そうになったのだ。
今回、二十歳のころの作品という性質上、全国の公立美術館から多くの作品を集めているので(こういうお仕事は美術連絡協議会の面目躍如ですね)、当初の予定通りに展示できていない作品も多い。つまり、被災地方面の美術館の所蔵品。岩手県立美術館、宮城県美術館、福島県立美術館、郡山市立美術館、萬鐡五郎記念美術館、あるいは東北方面の個人蔵の作品。それらの代わりに原寸大の写真パネルが飾られている。このあと、下関市立美術館、碧南藤井達吉現代美術館、足利市立美術館と巡回するので、巡回するうちに展示されるようになればいいなあ。
落ち着いてじっくり鑑賞できる展覧会なので、足を運んでみる価値があると思うのでした。