中島清之という画家をご存じでしょうか。実はわたしも良く知らなかった。活躍中の日本画家の中島千波のお父さんで、片岡球子の師匠、と言われれば、少なくとも私はほー、と思うけれど、これも自分が多少、人よりは絵を見たりするから知っているので、知らない方が多いですよね…。
で、横浜美術館で開催されている、その展覧会のキャプションが『横浜発 おもしろい画家』である。おもしろい画家って。脱力系というかいい加減というか、ほかになんとかならなかったのか、という惹句であるけれど。展覧会を見て行くと、なるほど、おもしろいかどうかは見てのお楽しみとして、横浜との関わりの深さについては力説しておかねばならない画家だ、ということになるわけです。関東大震災の横浜スケッチ、原三渓との親交、大佛次郎の小説の挿絵、三渓園の襖絵…ほら、横浜って感じでしょう!
中島清之(本名、清)は明治32年に京都で生まれて、大正4年、16歳の時に横浜に移り住んだ。子供のころから絵を描くのは好きだったけれど、本町通りのインターナショナル銀行に就職。これはニューヨークが本店の外銀ですね、横浜には明治期に、外国銀行が日本支店を続々出していたのです。翌年には横浜火災海上保険会社に移っている。後の同和火災保険海上保険、今のニッセイ同和ですね。
これ以降、会場内、作品の写真は、許可をいただいて撮影しています
お勤めの傍ら、ときにはお勤めをさぼって写生に励んだり、画塾に通い、古画の模写に精を出していた清さん、そのころに描いた横浜の風景、あるいはその当時の絵日記も展示されており、これ、横浜住まいの人間としては、馬車道の話とかいろいろ出てきて楽しい
そして関東大震災を迎えるわけですが、被災して何もなくなってしまった横浜のスケッチが残されていて、これもなかなか貴重なもので見逃せないのです
一時期神戸に避難してまた横浜に戻った清さん、『胡瓜』で院展試作展初入選を果たすんですが、これはそのすぐ後に描かれた『蓮池』なんですが、非常に細密で的確な描写で、そうとう画力のある人なんだな、とわかる。この後はいろいろ変遷していくので、あとまでみてから初期の絵を見ると、ああ、ちゃんとうまいんだ…みたいになるわけですよ
会社も辞めて画業に専念し、横浜発で頭角を現してきた画家ということで、原三渓を通じて下村観山、速水御舟、安田靫彦、前田青邨らとの知遇を得た清之さん、戦時中は一時、小布施に避難してまた戻りつつ、院展の重鎮への順調にステップアップしていく絵は、とにかくタッチが多彩で、なんでも上手い
やはり横浜生まれの作家、大佛次郎とも、当時仕事場としていたホテルニューグランドではじめて出会い、その後親交ができ、家にも通い詰めて、大の猫好きで知られた次郎の猫をスケッチしたり、絵に描いたり。
その縁で、大佛次郎の新聞連載小説の挿絵も描いています。知遇を得た画家の影響が感じられるような作品もいろいろあって、腕が確かな中でいろんな作風が楽しめます。これは昭和25年に描かれ、4度目の日本美術院賞を得た『方広会の夜』
『明けの街』『暮るる里』という作品、とても好きでした
中島清之さん、上手さの中に、なんかユーモラスなところとか、すごく洒脱なところとか、ちょっとヘンなところもあって、例えば戦前の銀座を描いた作品なんかとてもおしゃれで楽しいし
小布施での体験を描いた風景、背景の山に描かれた森の様子が、のっぺりして海苔かな?みたいな表現がされていたりして、ちょっとこの人、ただ単に上手い人じゃないのかな…と思った頃に…
53歳で日本美術院の同人になり、東京藝術大学でも教えるようになり、押しも押されもせぬ日本美術界の重鎮になったあたりから、作風がですね、なんかどうかしちゃってくるのですよ。突然、真っ赤になったり
笹乃雪の豆腐描いたり
不思議な抽象画にいってしまったり
デザインっぽい葉っぱだったり
いちいち顔が面白かったり
ある日、テレビで歌っていたちあきなおみを見て興味を強く惹かれ、スケッチをはじめて、自分で歌謡番組の収録にまで足を運んで描いた、冒頭の画像『喝采』を院展に出品したり
御年70の日本画壇の重鎮がちあきなおみを描く、ということで、当時はわりとスキャンダルっぽく週刊誌に書かれたりしたみたい。チラシにもこの絵が使われているんですが、日本画家の展覧会でちあきなおみとは思わないので、わたし遠目に見て天平美人か何か描いているのだろうか…と思ってしまったですよ。
こういう感じなので当時の評論家筋でも「つかみにい」という評判で、それがために画壇での地位がある一定以上あがらなかった、その辺のところが、藝大で教えていたころに縁があったという平山郁夫と対照的…いや、げふんげふん
以前、横浜美術館で開催されたホイッスラーの展覧会について紹介した時、ややこしい自意識の人と書きましたが
中島清之は無意識の人…ってこたあないけど、絵や、画壇における自分とかに過剰な自意識を持たずにいろいろ書いてみよう、みたいな感じのひとだったんじゃないかなー、と思います。三男の中島千波も日本画家の重鎮ですが、この方もわりと『ザ・画壇』みたいなところからフリーな感じなのは、お父さんの影響なのかもね。千波さんを描いた絵も何点か展示されているし
小布施に疎開していたころに生まれた子供であることから、小布施に中島千波の美術館があり、今回の展覧会も『おぶせミュージアム・中島千波館』からの出展がかなりあります。
とはいえ、中島清之、横浜の日本画の重鎮にはかわりないので、横浜市から依頼されて海外との文化交流があったり、などしています。そして、若き日の原三渓との縁もあって…なのでしょうか、臨春閣の替え襖の障壁画を依頼されて描く。描き始めたのが78歳。琳派の研究なども生かした大作で、本展覧会のクライマックスになっています
琳派に関してはやはり思い入れはあったようで、風神も描いたりしてますね
臨春閣の障壁画は残念ならが途中で体調を崩し断念し、以降は静養生活に入るのですが、確固たる地位を得てなお日記に『絵がつまらなくなってしまった』『万策尽きた』などと書いているなど、一定した作風に安住せず、いろいろなものをどん欲に描こうとした作家であるのだなあ、というのが、最後まで見て取れる展覧会なのでした。
特に横浜の地元の人には、いろんな興味で見られる展覧会ということで、お勧めしておきたいと思います。
横浜美術館は、コレクションもお楽しみ。特に今回、木村絵理子さんが久しぶりにキュレーションし、普段以上に気合が入ってる感じ
明日からの「中島清之展」@横浜美術館に合わせて、久しぶりにコレクション展を担当しました。テーマは大きく「神話とヌード」と「都市のイメージと美術」の2本。併せて、コムデギャルソンから寄贈いただいた家具を、コムデギャルソンと縁の深い中平卓馬さんや清野賀子さんの写真と共に紹介します。
— 木村絵理子 (@ErikoKIMURA) 2015, 11月 2
個人的には、「神話とヌード」のラストで、松井冬子さんの九相図を想起させる作品と、ダグ&マイク・スターンの作品に使われたイメージで、ジローラモ・デッラ・ロッビアが制作したカトリーヌ・ド・メディシスのトランジ(朽ちる身体を表した墓碑)が並ぶ、腐る女の裸コーナーがツボです。
— 木村絵理子 (@ErikoKIMURA) 2015, 11月 2
まず冒頭から、 アメリカの映画監督、ベンジャミン・ブロツキーが1917年から翌年にかけて撮影した日本紹介映画『ビューティフル・ジャパン』から、元町の神社、浅野造船、市内の小学校の運動会などの映像を抜粋して紹介していて、普段とは違う雰囲気。
『都市のイメージと美術』のコーナーもいい作品が並んでいますが
コレクション展については、誰でも撮影可能です
やはり『神話とヌード』のコーナーが、構成も秀逸でした。腐る女の裸コーナーはインパクト満点で、ぜひ自分の目で見ていただきたい
写真のコーナーでは、先日亡くなったばかりの中平卓馬(この人も横浜の人ですよね)らの、人の姿の見えない都市風景に、とても心揺らされる
横浜美術館コレクション展 2015年度第3期 | 開催中の展覧会・予告 | 展覧会 | 横浜美術館
そんなこんなで、企画展、コレクション展、合わせてお楽しみください。中島清之展は来年の1月11日までです