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『悪夢のどりかむ』展で考える、捨石としてのカオスラウンジ

A Nightmare Is A Dream Come True: Anime Expressionist Painting AKA:悪夢のどりかむ
広いギャラリー空間に、油彩で描かれた大画面のオタク絵。pixivで活躍しているクリエーターが、油彩で仕上げたもの。なるほど『悪夢のどりかむ』展は、現代アートにおける、技術やクオリティと、コンテクストの共有の関係を考えることになる展覧会であった。
例えば村上隆の例のフィギュアは、確かに仕上げのクオリティはあるけれども、オタクコンテクストで流通しているものをある意味、そのまま現代アートのコンテクストに放りこんだのであって、あとの勝負は村上隆のコンテクスト構築の腕一本にかかっていた。だから一面として、あれなら数多流通するアレやコレのほうが価値があるではないか、という物言いは可能だった。村上隆はそれに対して、常にコンテクストの面のみで回答していたように思う。
そして、それならばと、既存のオタク創造物を現代アートのコンテクストになんでもかんでもぶち込んだのが、カオスラウンジだったのではないか。で、カオスラウンジはどうなったか。(村上隆曰く)“破綻”したところに、村上隆がぶつけてきたのが『悪夢のどりかむ』であり、オタク絵を油彩の大画面で描く、ということをもって、新しい技術の価値を打ち上げてみせた。だからこれはブレイクスルーなのである、と。ここにきて、技術とコンテクストの両方を手にしたのだ。
村上隆氏、黒瀬陽平氏の『悪夢のどりかむ』批判に対して一言 - Togetterまとめ
だからこれから村上隆は、コンテクストだけを言い募っていたところから、その技術について言及するフェーズに入ったわけで、一連の流れを見ているとはじめからストーリーが出来ていたのでは、カオスラウンジは村上隆コンテクストの美術史のための捨石になったのだ、という見方も穿ち過ぎとは言えないような気がするのだった。