日毎に敵と懶惰に戦う

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やはり偉大なり三波春夫

先日、amazonで別のCDを眺めるうちに、むずむずして購入してしまったCDが届く。

?歌芸の軌跡?三波春夫全曲集

?歌芸の軌跡?三波春夫全曲集

んで、夕べは帰宅後、廻しっ放しであった。朗々として底抜けに明るいその歌声。なんと気持ちよさそうに歌うのだろうか。そして聞いている者を気持ちよくさせるのだろうか。
チャンチキおけさ、おまんた囃子、東京五輪音頭…もちろん、歌謡曲もいいし、そして2枚組の2枚目は長編歌謡浪曲俵星玄蕃も勿論良いし、私が大好きな血闘高田の馬場も。口ずさみながら聞く。なんでもありな効果音の数々。その効果音の一つ一つが非常にお約束で安っぽいのだが、それが怒涛のごとく押し寄せて、にっぽんの歌謡はここにあり、と迫ってくる迫力。そして圧倒的な気持ちよさ。
歌は芸である。声も音域もリズムも詩も曲も勿論大事だが、大事だが些事であり、まずなにより、芸である。「芸とは何か」これは難しい。非常に根源的だし、感覚的なのだが、あえて言うなら「カタチがいい」「ヨウスがいい」ということだろうか。
歌手で言うなれば、中島みゆきは圧倒的な芸の人である。芸能者である。都はるみも、そう。鬼束ちひろもそれに近い。
落語や浪曲に話が行くとキリが無いので止すが、先日見た、片岡仁左衛門もまさに「芸の人」であった。芸能者であった。神仏を拝む姿一つとっても芸になる、カタチがいい、そんな人であった。とにかく、私はそんな芸の人が大好きで、草間彌生埴谷雄高も芸の人であり、大野一雄も芸の人である。


唐沢俊一が裏モノ日記の2005年1月20日に、三波春夫について書いている。なかなか読ませる。

技術だけでバックに何も思い入れを入れなくていいから、純粋に歌う快楽に中毒できるわけである、三波春夫の歌は。分析(脳による思考)がなくても楽しめる純粋芸術が三波歌謡なのだ。

日本の歌謡界を、独自でこそあれマイナーポエットの世界に留めている階級的ルサンチマンを、三波春夫は声にもスタイルにも微塵も有していない。三波の不幸はまさに、それ故に日本の芸能史・歌謡史の中において、逆説的に異端となってしまったこ とだろう。

この人は、こういう、大衆文化を大衆視点で語らせた時が一番の持ち味だと思う。
http://www.tobunken.com/diary/diary20050120000000.html