日毎に敵と懶惰に戦う

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小川紳介『どっこい!人間節−寿・自由労働者の街』

御茶ノ水から歩いて、アテネ・フランセ

はじめて来るのだが、要するに語学学校だ、という認識で良いのかな。年季の入った施設。今日はここで、『小川紳介と小川プロダクション』企画の一環で、『どっこい!人間節−寿・自由労働者の街』を見るのである。
http://www.athenee.net/culturalcenter/schedule/2007_03/shinsukeogawa.html
寿町は横浜にある街。東京の山谷、大阪の釜ヶ崎と並び、日雇い労働者のドヤ施設が集積している場所。この映画は、小川紳介のプロダクションのスタッフがドヤに長期滞在し、そこに暮らす人々に取材したドキュメンタリーなわけであり。1975年の作品。
まずもって、出てくる人すべてのあまりの人間臭さに圧倒される。長屋物の落語をやるつもりの人、万難を排してこの映画を見るべし。江戸時代の長屋など必要なく、その描こうとしているもの、描かれるべきものの根幹に圧倒されることが出来る。根本敬的な『いい顔』が溢れかえっている。
コメディである。その必死な姿は、もはやコメディ。笑うことが失礼…なのではない。まさに重喜劇。斜に構えた視点だったとしても、イヒヒ、と笑えるし、しかし、正面からぶつかっても、笑うしかないのだ。その、ドヤで暮らす人々の人間模様に。カメラが廻っていることによって、ある程度の誇張や大げささもある。しかし、その『カメラを意識した過剰さがあること』すらを含めた人間臭さが、可笑しくもあり、悲しくもあり、あまりにもあまりにも、強烈なのである。
とにかく、みんな酔っ払っている。酒ばかり飲んでいる。しらふの筈なのにロレツが酔っ払いだ。しょーもない。その酔っ払いがポツポツ、いや、激烈に語る内容がいちいち胸を打つ。アル中を絶とうと必死になり、留置所に入れば酒を絶てるのではないかと考え、酒場で喧嘩をしてみようと足を運んでみたら顔見知りばかりで喧嘩が出来なかった人。『ここで助けてもらったのだ有難い』という意思を表明するために自分の指を落としてくれ、と言い、仁義を切る人。差別と平和について激烈に語り合う在日朝鮮人とドヤ生活者…まるっきり、長屋物の落語だ。凄い。
そして、違和感と言ったら良いのか。ドヤで暮らす人々が、すぐに『労働者の団結』と言ってみたり、『共産主義の世の中が…』と言ってみたり、政府を転覆すると言ったり、革命的思想へと直接結びつくのだ。今のわれわれからすると、その「一足飛び」は唐突で、戸惑う。取材者が言わせているのでは?とも思う。しかしながらよくよく考えると、それは時代的背景を差っ引いたとしても、つまり、切羽詰った生活が、生活と政治を直接的な部分で結び付けているのではないか、と。
所詮、ぼくらのような、ある程度余裕のある生活者にとっては、政治とはどこかで行われてる何か、に過ぎない。しかし、明日生きるか死ぬかの日雇い、生活保護、入退院の中で暮らす人にとっては、政治は日常のすぐ隣にある。そういう切実さへの寄り添い、というものを改めて考えさせられた。さて、いまはどうなのだろう。
とにかく、大変に面白い映画だった。アテネ・フランセの文化センターは、50人弱のお客の入りだったろうか。
帰りに東京体育館のプールにより、ちょっと疲れていたので2kmちょっと泳ぎ、帰宅する。