日毎に敵と懶惰に戦う

酒と食い物と美術と旅と横浜…などの記録。Twitterやってます @zaikabou

ドボク・サミットに行ってきた

そんなわけで、武蔵野美術大学オープンキャンパスで開催された、ドボク・サミットに行ってきた。
http://www.musabi.ac.jp/open08/2008/05/-jct.html
土木系エンターテイメントの写真集などを出版した方が一堂に会する、とても魅力的なサミットだったのだ。大学に入り、会場となる講義室のある建物に、こんな垂れ幕が!気合が入っているなあ

そして、キャラクターはバドンさんによる『ドボくん』

ちなみに、バドンさんデザインの素敵なTシャツは、8月末まで新宿のジュンク堂で売ってます
http://blog.livedoor.jp/r2koba/archives/64955434.html
280人入る講義室は、開始前にはほぼ満員に。ドボク好きな人たちの熱気むんむん。そして、壇上にはご存知のこの面々

左から、『工場萌え』の石井哲さん。『工場萌え』『ジャンクション』『団地の見究』などの大山顕さん。『ダム』『ダム2』の萩原雅紀さん。『東京鉄塔』の長谷川秀記さん。そして、『恋する水門』の佐藤淳一さん。佐藤さんは武蔵野美術大学の教員なので、今回、武蔵野美術大学でこの素敵なイベントが実現したわけであり。
まず前半は、それぞれの方から、それぞれの観察対象の魅力をプレゼン

1人10分ずつで、まず萩原さんがダム、大山さんがジャンクション、石井さんが工場、再び大山さんが団地、長谷川さんが鉄塔、佐藤さんが水門のプレゼンをしてくれたのだけれど、何しろ時間内で終わるはずも無く、素敵な写真に歓声や感嘆の声が上がり、解説に盛り上がる中、佐藤さんが終了した時点で全体の終了時間をすでに20分オーバーしていた(笑)でも、全然長いと感じない、あっとゆーま。萩原さんの、九州電力の中の人にまで感情移入するダムのデザインに対する熱い思い、大山さんの何時もながらの名調子、石井さんの、ドイツの事例などを取り混ぜた分かりやすい解説(そしてなにより、素敵な写真にうっとり…)、佐藤さんの水門の色に着目した解説、もちろんみんな面白かったのだけれど、長谷川さんの詩情溢れるプレゼンが面白すぎる…
休憩時間を挟んで、後半はディスカッション。お題は3つ。
まず、今回取り上げたような物件の総称、あるいはその共通点について。ダムやジャンクションなどの『土木』に工場や団地などの『建築』が混ざっているけれど、それらに通底する概念はなんだろうかと考えたときに、建築ではあるけれど機能性を重視した建築なのではないか、そこに機能美が見出されるような“見られることを意識しない”建築という意味で、土木と共通するのではないか、そしてそれらを『ドボク』と総称してみるのはどうだろう、という佐藤さんの提案について。
次に、今回のドボク・サミットの名称は『「ドボク・サミット」−工場・ダム・団地・鉄塔・JCT・水門・・・リサーチ・エンタテインメントの可能性−』なんだけれども、この『リサーチ・エンタテインメント』の部分について。学術・産業目的を持たない自発的研究を『リサーチ・エンタテイメント』と位置づけて、その可能性を考えよう、ということ。
そして3つめに、ドボク鑑賞者の果たしえる役割はなんだろう…?という、稀有壮大なお題。
ディスカッションでは、これらの視点をとらまえつつ、興味深い方向に飛んだりしつつ、話がすすんでいった。この5人の方は、全員、自分のサイトを持っており、情報発信はまずそこから始まって、書籍化されるのはその後、ということになる。やはり、webでの発信というのは、このような趣味が理解をもってもらったり、愛好者同士の繋がりを深めるのに不可欠なのだな。
http://d.hatena.ne.jp/wami/
http://blog.livedoor.jp/sohsai/
http://damsite.m78.com/
http://d.hatena.ne.jp/sarumaruhideki/
http://blog.kohan-studio.com/
また機能美という部分については、実は『機能的だから美しい』というのは後付の理由なんじゃないか、という。まず最初にダムや鉄塔や工場などの美しさに見とれて追っていくうち、さてそれらの魅力って何なんだろう?と考えたとき、『機能美』という理屈が出てきたんじゃないか。また、これらを機能美の一言で片付けてしまうといろいろ齟齬が出てくる。たとえば、鉄塔は、それが作られた当時は『機能的』だったかもしれないけれど、今は大きな棒(美化鉄柱)を一本立てるタイプのほうが一番機能的だったり。団地を愛でるのでも、ややもすると、ノスタルジー方面に傾いてしまったり。工場のパイプの束の中にも、産業スパイ対策で“無駄な”パイプが混ざっているかもしれないし(それはそれで、別の機能を果たしているわけだけれど)
また、鑑賞されることを意識しない…といいつつも、それは今現在の話であって、ダムも鉄柱も団地も工場も、できた当初は近代化、モダンの象徴であり、地元の人たちの誇りとなって愛されて、注目される存在だったのだ、という視点もある。価値観が転換してしまったために、今になって改めて愛でている人たちが『機能美』ということをいうけれども、その当時のドボクたちがちゃんと注目されておめかししていたのだ、と。
しかし、価値観の転換…ダムなどはその最たるものだけれども、前世紀の遺物、無駄な公共工事、公害を吐き出す、あるいは醜悪なデザイン…など。ある意味、長期的スパンで設計され淡々と作られていくドボクなものたちと、より速いスピードで変化していく時代のハザマで、注目されなくなったり、悪い意味で注目されたりしてしまったものたち。当事者たちも、情報を出さずに閉鎖的になってしまった。でも、このような『リサーチ・エンターテイメント』な人たちの活動が、それらに対する興味や関心をもっと惹起できるんじゃないか。
実際、萩原さんがダムの観察をはじめた8年前は、写真を撮っていても胡散臭がられるだけだったけれども、最近は放流が観光化されたり(平日に行っていた放流が休日に行われるようになったり)、さらには、ダムを訪れるともらえる『ダムカード』が作られたりするようになった。そしてこのように興味をもってもらうためには、しかめっつらした真面目さではなく、どうしても『エンターテイメント』、面白さ、浮かれ具合が必要ですよね、ということ。
私は鶴見俊輔の『限界芸術』にインスパイアされて『限界芸能』なんてことを時々言うのだけれど。それはつまり、見られることを意識していない対象を芸能として享受する姿勢であり、選挙演説のエンターテイメント化や共産趣味などいろいろあるのだけれど…。それを『楽しむ』のが不謹慎であるという人たちもいるけれど、結局、どんなことでも興味関心をまず持ってもらわないといけない。そして、そのためには、まずエンターテイメントして成立しなければいけないと思うのだ。まあ『運動の見せ方』問題にもからんでくるんだけれど、多少の教条を犠牲にしてもまずエンターテイメントとして成立しなきゃならんよね、ということを、節談説教なども念頭におきつつ、常に考えるのだった。そういうこととも関連して、このドボク・サミットはきわめて興味深い、示唆に富んだイベントだったのだ。
そんなこんなな話をするうちに、1時間30分だった予定は2時間50分かかって終了したのだった。大変楽しいイベントをありがとうございました。