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東京への異常な愛情 または私は如何にして執着するのを止めて横浜に暮らすようになったか

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横浜に35年住んでいる。そして「横浜の人」と認知されていることが多い。だけど、もともとは東京の生まれだし、生活の軸足もずっと東京に置いてきた。ちゃんと横浜市民になれたのはここ10年も無いかもしれない。そんな話をしたい。

生まれてからずっと東京だった

生まれたのは東京都目黒区中目黒。実家は小さな工場だった。東京オリンピックの好景気で祖父が軌道に乗せた商売を父が継いでおり、町工場兼住居の小さなビルが、中目黒駅から徒歩7-8分ほどの山手通り沿いに建っていた。

40年近く前の中目黒は、いくつかの芸能プロダクションこそあったけれど、今のようなオシャレタウンではなく、町工場も点在するような場所だった。今では花見の人出でパンクする目黒川沿いにも父の友人のメリヤス工場があったり。今はそのメリヤス工場、おしゃれなレストランになっている。

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自分はそんな中目黒で幼少期を過ごし、ベビーカーに乗せられて西郷山公園を散歩し、正覚寺の境内で遊ぶ子供だった。

しかし5つのころ、諸般の事情により、工場も自宅も横浜に引っ越すことになった。とはいえ、転居先は東急東横線綱島。中目黒から東横線で20分の距離だ。引っ越してからも、父親の仕事の付き合いや友人は都内が多かったし、ちょっとした買い物でもすぐに渋谷や新宿に出ていた。

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そして自分も、小学校こそ地元の綱島だったものの、中学高校で広尾に出て以来、ずっと目は都内に向き続けていた。図書館なら広尾駅からほど近い都立中央図書館や、貸出が充実し過ぎている目黒区立図書館ばかり利用したし、大学も高田馬場で、アルバイトも永田町と中野と御徒町という具合で、全部都内。

遊ぶのもいつも都内。友人もみんな都内。住んでいるのは横浜でも、心は都内。

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別に横浜が嫌いだったわけではない。横浜(ここで言う「横浜」というのは、横浜市民にとってのいわゆる「横浜」であり、横浜駅桜木町駅周辺の繁華街を指す)に買い物などに行くことも勿論あった。けれど、特に自分にとって「横浜」に対する地元意識がなかった。無意識に、常に目が東京に向いていた。

大人になってから、東横線田園都市線小田急線沿線には、このような「神奈川都民」が多く住んでいることを知った。不動産価格の関係で東京を出たけれど心は東京!みたいな意識の人だ。しかし当時の私に至っては、横浜に住んでいる、という意識すら希薄だったのだ。

突然、東京と切り離された

就職しても、最初に配属されたのは品川だった。仕事が終わってからも都内で遊んだり、休みの日も都内に出かけたり、大学のサークルに顔を出したり(迷惑な先輩ですね!)。相変わらず目は都内に向き続けていた。

転機が訪れたのは就職して3年目のこと。配属先は変わらないのだが、勤務地が突然横浜市内になったのだ。もう仕事帰りに気軽に都内に出掛けるわけにもいかなくなる。そうすると、なぜか私はその穴を埋めるように、休日には以前にもまして都内に出掛けるようになった。

ちょうどそのころ、都心部は大規模な開発が進行している時期で、六本木ヒルズが開業したのが2003年。ほかにも銀座、新宿、汐留、日本橋、お台場…などなど、都内のあちこちで新しい街区が誕生していた。もともと、流行に敏感で新しいお店に足を運んで…というタイプではなかったのに、とりあえずそういうところに足を運んてみたりもした。

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勤務地が変わったことで、私は生まれてはじめて、何も考えずに繋がっていた東京との接点を失ったのだ。わざわざ「敢えて足を運ばなければ」行けない東京。いままで、自分の軸足、アイデンティティは東京にあると思っていたのに、実はそうではないのか。しかし横浜に帰属意識も持てない。私は根無し草なのだろうか。

東京に住みたい、という欲望

はてなダイアリーを書き出したのもそのころだった。当時存在した「巨大建築愛好会」を通じて知り合ったり人と出会ったり、飲み歩いたり…。そしてダイアリーで感想を書くようになって足繫く美術館に通うようになったり…。その場所も、ほとんどが都内だった。

そうする中で、東京へ通うだけに飽き足らなくなったのか、ずっと実家住まいだった自分の中に、ぼんやり、東京に住みたい、という欲求が顔を出しはじめていた。根無し草な自分にとっての軸足を、慣れ親しんだ東京におきたい。

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別に広い部屋を求めていたわけではない。一人でぼんやり暮らすだけだから、長く部屋にいることなんて想定しない。東京の街はリビングで、図書館は書斎で、風呂は銭湯だから。

そのころ、私は六本木ヒルズにある森美術館の会員になっており、自分の会員の種別だと、会員制の図書館「六本木ヒルズライブラリー」のカフェのみ利用することができた。49階にある、眺めの良い、とても居心地の良い空間。年会費10万円を払って正規の会員になれば、簡易的なレンタルオフィスとして図書館にも入り浸れるのではないか。そうすれば、借りる部屋なんて、寝れるだけでいいのではないか。

風呂は麻布十番に銭湯もあるし、なんならフィットネスクラブの会員になって、そこの風呂でも利用すればよい。

そんなふうに考えて、寝れるだけの部屋を探すために頻繁に不動産サイトを開くようになった。すると、とにかく安くて築年数の古い方からソートすると、出てくるのだ。六本木周辺にも、築50年で3万風呂トイレ無し、みたいなアパートが。なぜそんなものが都心にあるかと言えば、港区の大家とも言われる森ビルが進める大規模開発計画の狭間で、計画が決まるまでの間、取り壊しもせずに残された用地…と言えばよいのか。とにかく、都心にモラトリアム的に取り残された場所。

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そんな場所に住んで通勤し、夜はライブラリーで過ごし、休みの日には自転車で行ける都心のあちこちに出掛ける。そんなふうに東京で生きる姿を想像する。

おそらく自分の「東京に住みたい」は、具体的にこんな街に住みたい、という欲望ではなかったのだ。ぼんやりと自分が抱く、いわばイメージの中の「東京」に住みたかったのだと思う。それは、地方から上京してきた人、上京しようとしている人が抱くイメージの中の「東京」とは、また違ったものだったのだろう。

長年、その姿を見ていたから、東京の地勢や環境については表面的には詳しくなっている。それなりに気の利いた場所も知っている。だからこそ勤務地が横浜になった瞬間、急に追い出されたように感じ、私は「東京であること」を求めた。

当時の私は、森タワーの屋上から東京の街を眺めて、よく知っているけれど実態の掴めない街への思いをひたすら募らせ、イメージの中の「東京」をつくりあげていった。

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執着をやめるまで

その後、2007年末に、諸事情あって一人暮らしは東京ではなく、横浜の野毛ではじめることになった。もちろん、執着がすぐに解消されたわけではない。週末ごとに東京に行く生活は変わらなかった。

けれど、野毛に住んでたまたま足を運んだ酒場で出会った人たちから、横浜のコミュニティに触れて、地域情報を発信している人と知り合ったり、その酒場の落語会の前座をさせてもらったり、本に書かせてもらったり、しまいにはそんな繋がりから結婚したり…という経験をして、徐々に東京への執着が薄れていった。

あとから考えてみると、自分は決して、横浜が嫌いだったわけではない。東京に目が向いている間も横浜に買い物に出ることはあったし、横浜市歌は歌えたし、横浜ベイスターズを応援していた。でも、横浜に対して地元意識があったわけではない。「東京」という大きな概念の端っこに、横浜はあったのだと思う。

よくよく考えるとおかしいのだけれど、自分にとって、確かに横浜は東京の一部だったのだ。東京ディズニーランド東京ドイツ村新東京国際空港も東京でないとか、そういうレトリカルなレベルではなく、もっと深層の次元での東京たる横浜。当時の自分にとって、東京とはぼんやりとした、自分を大きく包み込むような何かだったのだろうと思う。

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東京はどこまでも求心すると同時に、どこまでも拡張する。そして、自分にとって執着した「東京」は、その象徴として「東京都心」だったのだろうと思う。

いまでも毎週末、美術館や様々なイベントのために都内には足を運ぶ。しかし最近は横浜にアイデンティティを置いた状態で、東京と自然に向かい合えるようになったような、気がする。 頭の片隅に、イメージの中の東京を残しながら。

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