日毎に敵と懶惰に戦う

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国立歴史民俗博物館

さて、これから国立歴史民俗学博物館へ行くのである。京成佐倉の駅でバスの時刻を見るが、本数は少なくは無いものの、丁度間が悪い。歩いても近いようなので、雪の中をサクサク歩く。雪の中を歩き出すと、何の疑いもなく脳内で「雪の進軍氷を踏んで」と流れ出すのは日本人の心に刻まれた宿痾なんでしょうか私だけの問題ですかそうですか。
歩きにくい雪道、途中から坂道を15分ほど歩くとたどり着く。ここも一面の雪。

建物の中に入って暖かさに生き返ったような心持になりつつ、しかしメガネはあっとゆーまに曇り、手探りで420円の国立博物館共通価格を払って展示室へ。
さて、初めての国立歴史民俗博物館なのであるが、ここを語る上で引き合いに出さなくてはいけないのは当然、大阪の国立民族学博物館である。大月隆寛センセイも一時ご在籍だった大月隆寛先生がいたのは歴史民俗博物館のほうでした。訂正
みんぱく」は、世界中の民俗学資料を、俗な言い方をしてしまえば西欧の列強の大航海時代の「俺、未開の地でこんな珍しいもの見つけてきたぜ」的な意識下で、とにかく集めて集めてあつめまくってどんどん並べて、カオスと言うか混沌と言うかなんでも有りと言うか、意味は考えずにまずはとにかく見てちょうだい、という、偏執狂的な、そんな博物館であった。某社の「世界の美術館」シリーズで、唯一日本からノミネートされたのがみんぱくってのもむべなるかな、である。大好きなんですけどね、私、あそこ。
さて、「れきはく」はどうか。展示室は5つに分かれている。第1第2展示室は努めて教育的で、旧石器時代から安土桃山時代までの日本の歴史を、豊富な説明パネルと豊富な模型と豊富な複製品でご説明している。現物もそれなりにあるんだけど、本物に拘らず、とにかく抜けなく漏れなく説明することに主眼が置かれている。改めて復習になったし、複製でもブツが沢山あったので、これもなかなか面白い。
ところが、第2展示室の終わりごろと第3展示室、これは江戸時代であるけれど、この部分、「抜けなく漏れなく」を実践するためにカオスが出現している。つまり、支配者視点の俯瞰的な歴史ではなく、「出版」とか「芸能」とか「旅」とか「村落」とか「一揆」とか、歴史を物語るレイヤーを多層的に、遺漏なく、そしてどうも「民衆史」的な観点を非常に強く押し出して表現した結果、それぞれのレイヤーの歴史をばらばらにガンガン見せられるような構成になってくる。

それは混乱でもあるんだけれど、どこかに興味を持てればそこに注視すればいいわけで、ああなるほど、歴史『民俗』博物館の面目をこういうところで躍如しているのだな、と非常に面白く見た。しかし、どれもこれも、極めて説明的なんである。もちろんレイヤーごとに資料を示しつつ合理的な説明をすることが目的なんだろうから説明的なのは当たり前なんだけど…。
第4展示室、「日本人の民俗世界」。ここへきて、「説明的」であることが、みんぱくとの差をいやが上にも認識させるのだ。まず、「都市」と題して、地霊的な、っつったらいいのかな、神社の模型。それから、石切さんの怪しい占いの店の模型。

続いて、農村、漁村の習俗。これらにすべて、「ムラ」「ヤマ」「ミチ」みたいな、民俗学的な空間把握のための模型が添えられているのである。みんぱくみたいに投げっぱなしじゃない。すべて頑張って解説。だけど、それぞれの物の説明の間の関連性を理解させよう、という意識が、どうも希薄なような気がする。

どうも、誰かの史観が強すぎるんですよね、ここの博物館。おしつけがましいと言うか。しかし、だからこそ、「変なことに興味を持つ子供」を生み出すと言う、大変、学術の発展のためには有意義な場所にはなり得るのかもしれない。ここはもっと子供の頃に来たかったなあ。いろんな意味で極めて面白い。

最後の第5展示室は、文明開化後。ここはごく普通の説明的展示だった。ただ、被差別部落と、アイヌと、関東大震災における朝鮮人虐殺についてが物凄く詳しくて、しかもなぜかそこは撮影禁止。うーんと…いや、ややこしい話になるからこれ以上はやめておくけど、とにかく「民衆史」的な視点が物凄く強い「歴史民俗博物館」であることは確かであった。
2時間近く滞在してしまう。まだ止まない雪。ロビーからショップ越しに見える、外の雪景色が大変綺麗、まるで絵のようだ。

坂道を下って、今度はバスで京成佐倉へ。ここから、バスを乗り換えてJRの佐倉駅へ。